僕は一度、障害者福祉を辞めた
福祉の仕事を辞めたい!と思っている方へ。
「一度、障害者福祉分野の仕事から離れたことがある。」
僕は大学卒業後、福祉の仕事を続けてきたが数年だけ障害者分野から離れたことがある。
もともと、いろいろな現場を見たくて新卒で就職した職場を2年で転職した。給与面等で生活が厳しく、当時の施設長に紹介してもらったのが2つ目の職場。ここは、準公務員的な給与形態で、夜勤がないのに大卒だからかなり待遇がよかった。また、ここの職場では同期にも恵まれ、年齢層は違う人もいたが、同級生が自分を含めて3名、年上2名、年下1名という環境だった。仕事は入所施設とは違い通所のやり方を覚えるのに必死だったり、行事も多かったので、忙しい日々だった。ただ、利用者対応については、入所施設での経験が活き、比較的負担なく支援することができた。もちろん、その中でも悩むことや失敗することもあったが、同期がいたことで、特に苦しむこともなく乗り越えることができた。今振り返ると一番情熱があった時だと思う。そんなこんなで3年目のある日、事件が起きた。僕は前職の関係もあり、行動障害や加害がある利用者対応に入ることが多かった。当時のシステムとして、担当利用者というものを割り振られ、3名を担当する中で大体1名は癖のある利用者をお願いされることが多かった。そんな感じで3年目は高校卒業して2年目の利用者をお願いされた。1年目は特に問題なく僕が働く施設で過ごしていた。ただ、様子を見ていると、衝動性が強くて突発的に何かするような感じはあった。僕の少ない経験上だが、不調な時は何か加害がありそうな気配は感じていた。担当になって半年ほどは不調そうな時は運動や歩行に切り替えて、気分転換を促す支援を行うことが多かった。今振り返ると、少ない経験だけに頼ってた部分もあるとは思うが、当時は不調な時は運動を促し、身体を使った方がすっきりするのではないかと思っていた。また、担当してからそのような対応をしてきたが、確かに気分が切り替わっている実感があったので、その対応を継続していた。でそんな対応をして半年が過ぎ、夏になった。その日は朝から不調そうな感じで、イライラしている様子だった。ただ、自宅からの情報だと特に変わりないだから様子を見ていたが、明らかに不調。そのため、当時支持を仰いでいたリーダーに相談し、午前の作業から近隣散策に切り替えた。近くに広い公園があり、普段からそこを歩くことには慣れていた。そのため、僕とその利用者と2人で散策に出かけた。公園に向かう途中もイライラしたような声を出したり、自分の手を噛む自傷があったり、不安定な兆候が見られた。しばらく歩くと、落ち着くだろうと公園について周囲を見渡すと、なんとその日は遠足で小学生の集団がいた。賑やかな声などが苦手だった利用者だったが、急にルートを変えてもその反動で加害が起こる可能性があると考え、慎重に距離をとって公園を1周あるき、きりがいいとこで戻ろうと判断した。途中まではなんとか大丈夫だったが、突然小学生の低学年の児童が歩いている前に走ってそのタイミングで利用者がパニック。小学生に突進しそうになった。僕よりも慎重はやや低いが、体重は重い人だったので全力で止めるが、腕を持つと滑るし、手をすり抜けて前に進もうとするから、最終的にはtシャツを引っ張り、腕も力任せで引っ張り引き止めようとした。その際、静止された反動で僕を蹴ってきたり、顔を殴ったり、腕を引っ掻いてきた。Tシャツを引っ張った際にシャツが破れてしまった。しばらく興奮しており落ち着いてから施設に連絡し、迎えにきてもらった。そのご、破れたTシャツは返却して事情を説明したが、どうやら信じてもらえずに…虐待疑惑をかけられた。もちろんこちらにも非があった。説明のタイミングが後手になった。今だったら違う対応をすると思うが、当時はショックだったり頭が回らず、そのような対応になってしまった。自宅に謝罪に一ったこともあったが、結局その件が本人のトラウマになっただから休みがちになり、年度末で退所となった。ぼくは、その時ご家族に1人で謝りに行くように言われた。今考えてもなぜかわからないが、経験を積ませたかったのだろうと考えるようにしている。ただ、パニックで殴られたことがショックではなく、本人のために必死に半年対応してきて、パニックになった時も本人が加害者にならないように必死に止めたのに、自分が加害者として疑われていることに対してショックで…初めてトイレで泣いたという記憶がある。とそのことがきっかけで、やる気を失った僕は、いい仲間がいるのに退職した。これは後に他施設の長に、呼び出されて怒られた。まあ、そんな感じで障害者施設のつながりも嫌に感じて、違う企業で経験を積もうと重い、当時流行り出していた高齢者のサービス付き高齢者向け住宅の管理者候補という役職の会社に就職した。現場研修で高齢者分野の仕事の面白さを感じることができたが、その時に障害者支援のことを常に参考にしていた。そうすると、認知症の方や高次脳機能障害の方の対応も円滑に行えることに気がついた。その後、は営業兼管理者という何をして良いのか当時わからず、家に帰れない日もしばしばあり、営業ではエリアで成績が悪く、営業ミーティングで晒されることもしばしば。当時は就職氷河期だったこともあり、ごりごりの対応を受けてしんどくなって1年ほどでやめた。その後知り合いの放課後等デイサービスを手伝って欲しいという誘いから方デイに勤め、障害に改めて向き合いたいと思い以前同期だった人に相談し、再度通所施設に就職した。
決して華々しい経歴ではない。通所をやめた時や高齢者分野をやめた時は逃げているし、最終的に東京から福岡に来た時も逃げたようなもんだ。東京から福岡にきた理由は、虐待疑惑をかけられた時に、他施設の知り合い(管理者クラス)の人がそのことを把握していて、避難されるというより、心配してくれたのだが、知っている人が結構いたことがいやだった。また、行動障害の東京都が主催する研修で、事例発表を行ったのだが僕の論点がずれていたようだった。研修中はその指摘はなかったが、研修後に来年も来るように勧められた。その時、なぜ研修中に指摘してくれなかったのか確認したらよかったのだが、そんな気持ちにも当時はなれずで、東京でのつながりがいやになった。今振り返るとその時に冷静さと教養があればもっと違った判断ができたのではないかと、後悔している。
が後悔しても仕方がないし、高齢者分野で営業をやっていた時に障害者福祉がやっぱり好きだと感じていたので、福岡でも障害者分野で働くことにした。ただ、ここの施設では結果から言うと絶望して、3年半くらいで退所して訪問系に転職し、結果として企業することとなった。という感じで割とスムーズではないキャリア形成だと思うし、正直まだまだ未熟だと日々感じている。ただ、今振り返ると、やめずにできることが増えた人生もあるが、やめて新たに踏み出したことで得られた人生もあると思う。例えば、収入に関しては結果として上がったし、福岡に引っ越したことで家を購入することもできた。東京では得られなかったであろう幸せを見つけることができた。だから、全てがうまくいくとは限らないが。
と人生は決断だが、結局障害者分野の仕事を続けている理由は、この仕事は本当に困ってる人の役に立てるからだと思う。僕は元々人の役に立ちたい人間だった。頭も良くないし、体力が人よりあるかと言われたら人並みしかないので特別な仕事には就けなかったが、もともとは消防士を目指した時があった。だから人の役に立ちたい気持ちは人一倍強い。それにヒーロー願望があった。最近気がついたのだが、ヒーローににてない?給与はそこまで高くないし、大変な仕事を任されるけど、最後に「ありがとう」といってもらえるから。その時の達成感は他の仕事では得られないかも。
そしていまやっている理由としては、自分の思いや信念をできるだけ届けたい。大手のグループホームに仕事で出入りすることがあるが、なんとも酷いい扱いをしているところが多い。実名を出したい気持ちもあるが、ここでは問題になるのでやめておく。ただ、出したいくらい非常なところを知っている。だから、そんなグループホームとは違う安心できるグループホームを作りたいと思っている。
▶「向いてないかも」と感じたときの話はこちら
→ 福祉、向いてないかも…と思ったときに僕がやってよかった3つのこと
▶ 実際に一度辞めたときの話はこちら
→ 福祉の仕事がしんどくて辞めた僕が、それでもまた戻った理由
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